【代表のプロフィール】

伊勢崎市田端整体院代表プロフィール

ホームページを訪問いただきありがとうございます。田端です。

この長い文章をここまで読んでくれたあなたはきっと、自分の健康にたいして真剣であり、真面目に不調を何とかしようと考えている方だと思います。また行動的であり、自立心があり、繊細な方です。実はこのHPの文章はそういった方にしか響かないように書いています。逆にいえば、ここまで読んでくれたあなたはそういった性格の持ち主なのです。

私が整体の業界に入って10年以上経ちました。その間、伊勢崎市はもちろんのこと伊勢崎以外の群馬県内各地、高崎、前橋、太田などからたくさんの方にご来店いただきました。肩こり、腰痛、骨盤矯正、産後の骨盤矯正、小顔整体など様々な施術をやってきました。

当院の特徴は解剖学、人間の骨格と筋肉の構造に基づいた整体を行っていく、と言うことです。これは極めてシンプルなやり方なんですが、効果は高いです。多くの伊勢崎の他店様、激安マッサージ店様、もしくは接骨の先生においても、筋肉に骨格や筋肉に対して十分な知識を持っている施術者と言うのは決して多くありません。むしろそんなにないと言っても良いでしょう。

当院では、あなたにきちんとした声説明をしさらに納得の上、整体をうけていただきたいと考えています。実際にあなたにお会いしてお役に立てることを楽しみにしています。

伊勢崎市田端整体院代表|略歴

田端久人 埼玉県本庄市在住 昭和48年生まれ。解剖学(骨格と筋肉)の専門家。家族は妻と息子。群馬県伊勢崎市にて整体院を経営。2007年から約10年継続して伊勢崎で経営し続ける

1973年埼玉県本庄市生まれ。本庄高校卒業、大東文化大学卒業

某大手流通企業に就職。会社の待遇等に不安はなかったが、考えるところあり退社。大企業のなかでの、周りからのお手盛り感に違和感を覚えた、と言うのが当時の私考え。

その後某児玉郡の物流事業会社に就職。入社後に2年で主任職に抜擢される。在職中は数十億を売り上げる季節商品の出荷、商品管理の責任者、また某大手百貨店のクリスマス売り場を一手に取り仕切るという新規プロジェクトリーダー、その他、輸入雑貨屋、ポスター、版画、フレーム等の出荷、商品管理の責任者、また完成品の2次加工作業の責任者などを歴任する。

そんな中、2004年に民間療法、リフレ等と出会い独自に勉強を始める。

2006年スウェデッシュを通して解剖学を学ぶ。その後経験を積み退職。

2007年に独立開業。当初はアパートの1室にて営業行う(今で言う自宅サロンの走り) (自宅サロンを数十年前に始めると言う先見の明があると自負しています)。

始めたはいいが、お客様全く来ず、凄まじい苦労するが、徐々にお客様が集まるようになり、アパートの1室ながら月100名を超える方に来店いただけるようになる。

2010年に現在の店舗に移転。小顔整体をメニューに投入する。

2011年、震災不況にのたうちまわる。そんな折、小顔整体友の会システムを導入、大好評となる。

2013年に結婚。 2014年、多店舗展開の一環として、高崎市の大手スポーツジム内にテナントとして出店。しかしながら、お客様の層が全く合わず、3か月で撤退。

2016年。移転以来勤めてくれたスタッフが退社。アパートの一室でやっていた以来のワンオペにもどる。7月には第一子が生まれる。現在も現場に立ち年間2000名の施術をこなす。七転八起きを繰り返しながらも、多くの人に支えられながらなんとかここまで生きてくる。整体スクールの運営、集客に悩む治療院向けに、集客、問診、施術のアドバイスも行う

 

これまでの歩み

キャリアの始まりはリフレクソロジーからでした

 

大学を卒業後、アート関係を扱う会社に就職しました。(ちなみに前職の肩書きは物流課主任)。この会社には約10年お世話になりました。大学卒業後は10年以上サラリーマンとして勤務。27歳の時に主任に出世しました。決して年功序列的な会社ではありませんでした。が、比較的早い出世だったと思います。

誰でも20代の時には悩むと思いますが、私も同じような悩みを持っていました

この仕事でいいのだろうか?私に合っている会社だろうか? 人を使うような立場であってもそのようなことで悩む日々でした。後述しますが、こう見えて私は実はバリバリの経営者タイプ。経営やマネジメントをすることに喜びを覚え、それをやっていないと多大なストレスを抱えてしまうタイプなのです。

多くの方がそうでしょうが、私もかなりのハードワークをしていました。

月の残業は100時間近く。 休日出勤は当たり前。 ワンマン社長の下でのストレス。 身体も疲れ切っていました。

そんななか、ある日リフレのお店にふらっと入りました。時期的には2003年くらい時期。そこですっかり足のむくみがとれた私は、こんな世界もあるのか。と驚いたものでした。当時の私は、仕事の疲れで足のむくみに悩んでいたのです。

あれほどむくんでいた足が一発でよくなってしまったんです。

そしてその後在職しながらリフレの勉強を始めました。

解剖学を学ぶ

 日増しにこの業界で働き、そして生業にしたいという思いは強くなり、そしてそのためにはどうしたらいいのか?考えるようになりました。

その後、悩みながらも仕事を続けていました。が私は仕事をしながら、整体の勉強を始めたのでした

と言っても今ほど情報があった時代ではありません。ただ、人様の身体をお金をもらって触る以上、きちんと身体のことはしらないといけない、と思い、解剖学を学びながら、技術も勉強できる、スウェデッシュマッサージを学び始めました

そしてスウェーデンマッサージを通して解剖学をまなびました。このとき見につけた知識が今の施術の基礎となっています。その後スポーツマッサージの技術、整体の技術も学びました。

整体学校は数多くありますが、解剖生理学をシッカリと学んだの大きな成果でした。今では解剖学の専門家を自負してます

そしてその後経験をつみ、2007年2月に群馬県伊勢崎市今泉の小さなアパートでピュアヒーリングという屋号で本当に小さな店をオープンしました。

独立してやりだしたはいいけれど

 

当たり前のことですが、誰も私のことなどしりません。ましてお金を出して施術をうけようなんてかたがいきなり沢山来るわけもありません。

苦労の連続でした。

2月の寒い日コピーしたチラシをポスティングにいきました。雪が降りそうなシンシンと冷え込む夜でした。なぜ夜を選んだかというと、昼は予約の電話が掛かってくるかもしれないから。当時はお金がなくて転送電話なんて使えなかった。

犬に吼えられないように気をつけながら、郵便箱にチラシをいれていきました。手袋をすると効率が悪いので手袋をはずしました。寒さで段々指の感覚がなくなっていきました。予定の枚数を配り終えたのは12時をまわっていました。

そして次の日電話をまちました。電話はありませんでした。 翌々日も電話を待ちました。この電話をまつ時間は永遠にも感じられました。そして電話がなりました。

予約の電話でした。飛び上がるほど嬉しかったですが、グッとこらえて冷静に愛想よく対応しました。電話を切ったあと小躍りしました。

時間になってもお客さんはきませませんでした。連絡もなくキャンセルされました。

そしてその後暫く電話がなることはありませんでした。

しかしながらこんな苦労は苦労ではありません。

この業界で生きていく、この仕事を生業としていくと決めた時から、覚悟していました。

そして、徹底的に集客やマーケティング、心理学を学びました。そしたらお客様も少しづつですが増えていきました

あきらめなければ、必ず上手くいく

と自分には言い聞かせてます(笑)

その後2010年3月に現在の場所に移転しました。今では年間2000名以上のお客様にご来店頂いています

「楽になったよ」「痛くなくなった」「ありがとう」そういった言葉をいただけたとき、この仕事をしているやりがいと喜びを感じます。そしてその言葉こそ私を支えてくれているものです

私達の仕事は受けていただく方がいて初めて成り立つ仕事です。受けてくれるお客様がいなければ、どんなに素晴らしい技術も全く意味がありません

一人でも多くの方の、つらさを取り除くお手伝いをして、喜んでいただけるようこれからも精進していきたいと思います

 

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事